ベオグラードの陽気と爽やかな白石一文

白石一文の『快挙』をセルビアのベオグラードを歩きながらのんびり読んだ。

天気予報では雷雨となっていたけど、雲が多めながらも良い感じに晴れていて、どの国でも5月の陽気は気持ちいいなあと思った。
この時期に東京から1回の乗り換えて行ける街が、中欧のあたりではここだけだった、というだけの理由で行った街だったので、ベオグラードにはたいして期待していなかったのだけど、ドナウ川とサバ川という2つの大きな川に囲まれた、緑の多いとても気持ちの良い街だった。

そういう爽やかな環境で読んだことに多少影響されているのかもしれないけど、『快挙』は白石一文にしてはずいぶん爽やかな読み心地の話だった。
展開はあまりドロドロしていなくてハッピーエンドだし、性的描写も(彼にしては)ライトだった。
普段の白石節を求めて読むと少し物足りないかもしれないこの話がどういう意図で書かれたんだろうかということを考えてみたんだけど、すごくざっくりした仮説を挙げると、『快挙』は作者の白石一文自身の(願う)生き方を強く反映したものになっているのではないかと思っている。

僕は小説家が主人公の小説や漫画家が主人公の漫画というものがあまり得意ではない。
書く側にしてみればそのような自分に近い境遇の主人公は描きやすいのだろうけど、絶対数が少ない小説家や漫画家について、一般的な読者は親近感を感じづらいと思う。
敢えて強く言うなら、そのような作品は、自分の外の世界を想像することをサボった、自慰的なものに感じてしまう。

『快挙』は(多分)白石一文にしては珍しく、小説家を主人公にした小説だ。
そして、小説を書くということが話の中で非常に大きなウェイトを占めており、俊彦という(ちょっと親近感を感じる)主人公は、作中で『快挙』という作品を2回も執筆している。
白石一文の『快挙』の中で主人公が『快挙』という作品を書いているというこの構図を素直に受け取れば、白石一文は自分と主人公を重ねていると考えられる。

そんな訳で上に書いたような仮説に行き着くのだけど、僕は白石一文がどんな生き方をしているのかは知らないので、この話が実際の状況に近いのか願望に近いのかは分からない。
ただ、いずれにせよ白石一文自身の(願う)生き方は、他の彼の作品のようにドロドロした人間関係やゴリゴリした性的生活に基づくものではないのかもしれない、というのは個人的にちょっとした発見だった。
(彼の小説に出てくる人々は、異常なまでにドロドロゴリゴリしているので、それが彼の目指すものではないと考えたほうがホッとする。
あと、彼が書く小説は普段はとても色々な職業の主人公が出てくるので、この小説が怠慢だとは感じないし、むしろ普段あまり自分のことを話さない人が珍しく自分語りをしているようで、微笑ましく感じる)



この小説でテーマになっているのは「人生の快挙とは何か」ということであり、主人公は、「妻(みすみ)と出会えたこと」「妻を浮気相手から取り戻したこと」を挙げている。
そして主人公自身が挙げている訳ではないが、最終盤で「命をかけて書いていた小説を、妻のために諦めたこと」が主人公にとっておそらく一番の快挙なのだろうと思う。
つまり、彼の人生の快挙は、完全なまでに妻に関することに集約されている。

成田からアブダビに向かう飛行機の中で見た内田けんじ監督の『鍵泥棒のメソッド』という映画もとても良かったのだけど、その中でもヒロインのお父さんの
私はこの人生でたくさんのものを手に入れることができました。家も車も服も食事も全て一流のものに囲まれて生きることができました。でも、そんなことにゃ何の価値もありません。私の人生で最も偉大な出来事は、愛する妻キョウコと出会えたことであります。
という遺言があって、ずいぶんグッとくるものがあった。

最近『殺人出産』や『損する結婚 儲かる離婚』といった過激派の本を読んで以来、結婚の契約が無ければ続けられない関係であれば、そんなものは破棄してしまった方が良いだろうと、結婚という枠組みにかなりネガティブになっていたのだけど、『快挙』を読んだり『鍵泥棒のメソッド』を見たりして、結婚に対してずいぶんポジティブな感じ方もするようになった。(単純)

『快挙』でヒロインのお父さんが言う
人間の心のなかには魔物が棲んどる。(中略)わしにはきみたち夫婦のことはちっとも分からへん。分からへんが、要はその魔物に負けんようにしてほしい。
というセリフにもあるように、人間であればどんな人だって過ちを冒すものであり、そんな過ちが元で大事な関係を失うことが無いよう、関係を二人で協力して長いあいだ守っていけるよう、一生の関係を誓う固い契約である結婚をすることには大きな意義があるんだろう。

もちろん結婚契約が全て頑なに守り続ける必要のあるとは思わないし、結婚しないことや離婚することが合理的であることも多いと思う。
どんな形であっても、一生の関係を誰かと築けることは、人生の快挙と呼ぶにふさわしいくらい価値があるんだろうなあと思った。

(僕自身が『快挙』の中の俊彦くん同様の快挙を今後起こせるかどうか、なんとも言えないなあ…)

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