楽しかったコトル、読書感想文に対する憤り

モンテネグロのコトルという街に来ています。
アドリア海に面した古くからの要塞都市で、建物と自然と調和しているきれいな街です。

山と海があったらそりゃ勝ちです

要塞がRPGのダンジョンみたいで男心のくすぐり方がすごい
 
教会の室外機が不自然なくらい汚れてた。邪気とか吸ってるんですかね
コトルは猫の街としても売り出し中です。気持ちよさそうな昼寝で賞
猫の博物館というのもあった。第一次大戦中にドイツ軍の兵士が貴重な休みの時に猫と撮った写真
泊まってるHostel Old Town Kotorはその名の通り旧市街にあって、昔の建物をそのまま使ってる感じ。部屋はこんな
階段には古いマリア像の置物が飾ってある。"1500 years old Virgin Mary statue"って書いてあってその言い方はちょっと可哀想な気がした
少しでも記憶を残しておきたいので、がらでもなく自撮りなんて載せます(自分の記憶力の無さは自信がある)。シンガポールのKelvin、卒業旅行で来てるらしい。
ホステル主催の夕食会で圧倒的ぼっちだった自分に話しかけてくれた。ヨーロッパに来てみんな英語がうまくて切なくなってるんですが(その結果ぼっちになる)、「日本人なのに英語が話せるんですね!」と言ってくれて、日本人の英語力って世界的にそういう認識なんだと悲しくなった。(自慢じゃないけど僕の英語は本当に下手くそだ)
彼はマレーシアのペナン出身で、ペナン料理はほんとに美味しいと勧めてくれた。ラクサがいちおしらしいので勉強のためにも食べに行きたい。

あとポーランド人の日本大好きおじさんが、
「日本は技術が凄いけどそれを全く輸出しようとしないのが面白い」
って話していたのが印象的だった。
(10年以上前、日本人が小型で高機能な携帯電話を使っていたけど、海外にそれを出していなかったことにショックを受けたらしい)
あと、
「私が温泉に行ってパンツを履いたまま湯船に入ろうとしたら、おじいさんが後ろから飛びかかってきてパンツを脱がした。日本は伝統と技術が両立しているのが面白い!」
と言っていた。
(彼は全裸になって共同入浴するのにあったらしい。たしかに他の国の人でも同じことを言う人はいる)
日本は自分が思っている以上にガラパゴスなんだなあと感じつつ、それをどこまで改善するべきかどうかなのかいまいち分からない。
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コトルはきれいな街すぎてアラサーの男一人で歩いているのはもの寂しい感じがあって(アラサーの男が一人で観光してれば、どんな街でももの寂しいかもしれないというのは秘密)、ついどうでも良いことばかり考えてしまう。

小学生は夏休みとかの宿題でよく読書感想文というものを書かされるけど、あれってなんで「読書」「感想文」っていうものに指定にされているんだろう。
テレビや映画、漫画、新聞、インターネットなどなど、様々なメディアがある中で、「読書」というものにフォーカスすることが(特に現代的に)どこまで価値があるんだろう。
あと、文章を書く練習であれば、論文形式や…ちょっと他にあまり思い浮かばないですが(日記なんかは小学生の宿題の二大巨頭なので)、「感想文」というものにこだわる必要もあまり無いように思う。
(日本人が論文的な文章を書くのが苦手って言われるのは(僕も苦手です)、小学生のころに感想文とか日記とかばかり書かされることに多少なりとも原因がある気がする)

とは言いつつ、僕はわりと読書感想文を書くのが好きで、読書メーターとかを使ってちょこちょこ書いています。

青少年読書感想文全国コンクールのページには、読書感想文について下のように書いてある。
「読書感想文は、何のために書くの?」
「書くことによって考えを深められるからです。読書感想文を書くことを通して思考の世界へ導かれ、著者が言いたかったことに思いをめぐらせたり、わからなかったことを解決したりできるのです。ですから読書感想文は「考える読書」ともいわれます。また、どんなに強く心を動かされても、時がたてばその記憶は薄れてしまいます。読書感想文は自分自身の記録です。読み返すことによって、いつでも「感動した自分」に出会うことができるのです。」

僕はこれにすごく同感だし、このブログを始めた趣旨もだいたいここに書いてあることと同じだ。(悪口を書いてすみませんでした)
ただ、やっぱり本というメディアとか感想文っていう形式にこだわる必要は無いと思う。
(詳しい人の意見が聞きたい)

本当はここから最近読んだ本の読書感想文を書こうと思ってたんだけど、安くて美味しいモンテネグロのビールをたくさん飲んですっかり眠くなったので、続きはまた今度にします。(ちゃんと書くかな)
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そういえば、前回の記事では気持ちが盛り上がってしまってうまく言語化できなかったけど、改めて考えると結婚契約って土俵の綱(勝負俵と言うらしいです)みたいな効果があるのかなあと思う。
苦しい時でもそれがあるからギリギリ踏ん張れたりする、というイメージですね。

 http://stradatrasversale.blog60.fc2.com/blog-entry-534.html?sp
そして、それを使ってどんだけ踏ん張っても無理な場合は、潔く諦めることも大事。
それがあるから頑張れる時もあれば、それがあってもどうしようも無い時もある。
当たり前のことのようだけど、なんとなく自分にはしっくり来るイメージでした。

こんなことばかり考えてないで早く土俵に上がれって感じですね。(ドヤ顔)

Comments

  1. おもしろかった。

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  2. 文章うまく書きたいでござる
    要塞には何かモンスターは居ましたか?

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    1. 俺もうまくなりたいでござるね
      モンスターいなかったし、モンスターペアレントもいなかった(いたらちょっと面白かったんだけど)

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