やっぱり恐いボスニア・ヘルツェゴビナとシェアの時代
今朝までボスニア・ヘルツェゴビナの首都のサラエボにいました。
第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件で有名なサラエボですが、今は平和なイスラムの文化を感じる街です。(住民の85%がイスラム教徒)
サラエボの旧市街。観光客で賑わってます
ちなみに、最近一番しんどかったことは、クロアチアのドゥブロヴニクで泊まっていたホステルで、男女共用の一つの部屋に複数の2段ベッドがあって、
僕は上の段だったんですが、寝ていたらすごい揺れがして「こんなところでも地震があるんだなあ」と思っていたら、それがいつまで経っても終わらず、だんだん男の荒い息遣いとともに独特な物音がしてきて、それがすごく長くて、なかなか寝付けなかったことです。
(しばらくしたら終わって、男女のささやきあう声が聞こえてきました)
さすがヨーロッパでは色々なものがシェアされるようですが、僕はまだそのレベルにはついていけないです。
第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件で有名なサラエボですが、今は平和なイスラムの文化を感じる街です。(住民の85%がイスラム教徒)
サラエボの旧市街。観光客で賑わってます
サラエボ事件の現場付近の橋
サラエボ事件の狙撃犯のガヴリロ・プリンツィプ(以下、プリン)は、事件当日、元々予定していた暗殺計画が失敗し、怒りを鎮めるためにカフェでサンドイッチを食べていた。
標的だったオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻は、最初の暗殺計画を逃れることができたが、住民が爆破で負傷したため、病院へ(元々乗っていたオープンカーで)お見舞いに向かった。
お見舞に行く途中に運転手が道を間違えて、夫妻を載せた車は裏の路地に入った。
その路地のカフェでお茶をしていたプリンは、殺し損ねた皇太子夫妻が目の前に現れたため、(くわえてたサンドイッチを落とすくらいには驚いたと思うけど、)冷静に二人に近づいて射殺した。
プリンの仲間の何人かは死刑となったが、プリンは事件当時19歳と11ヶ月の未成年だったため、懲役20年となった。
諸説はあるみたいだけど事件の概要はだいたいこんな感じで、ウォーキングツアーのお兄さんに聞かせてもらったんですが、個人的にはちょっとびっくりするぐらいおもしろかった。
(これが結果的に第一次世界大戦につながるので、あんまりおもしろがるのも良くないかとは思うものの、当時の情勢的にサラエボ事件が無くてもいずれ同じような戦争は起こっていたはずなので大目に見てもらえると…)
高校の時にもっと世界史をちゃんと勉強しとけば良かったかなと微かに思う反面、こうやって実際の場所に行ってみるからこそ分かる質感というか空気感というか、そういうものもあるかなあと思う。
そう考えると、高校で世界史を全く勉強しなかった分、事前のネタバレ無しで面白い話に触れられているような気もするので、まあものは考えようですね。
オーストリア=ハンガリー帝国時代のきれいな西欧風の建物も多い
左は教会、右はビール工場。サラエボっ子の間では、クリスマスには左の教会で礼拝をしてから右の工場のパブでビールを飲むのが主流らしい
ビール工場は1992〜1995年の、サラエボが主戦場になったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のときにも営業を止めなかったらしい。サラエボっ子の気合いを見習いたい
イスラム文化と西欧文化の融合を図ったデザインで作られた旧市庁舎。とてもきれい
天気も良いしサラエボほんとに良いところだなあと思ってベンチでくつろいでたら、鳩の糞が腕に直撃した。今でも狙撃犯が多い街です。
今日はクロアチアの首都のザグレブに向かっています。
朝寝坊したわりに朝食をしっかり食べて慌ててホステルを出たのですが(いつものパターン)、バスターミナルに向かう路面電車が通勤ラッシュに巻き込まれて全然動かず、結局予定していたバスに乗れませんでした。
旅行に来てからどこの国ものんびりしすぎて平和ボケしていましたが、朝はどの国も戦争ですね。
ついでに朝ダッシュしていたらスーツケースのキャスターが壊れたり、代わりに乗ったバスが壊れて3時間ぐらい動かなかったりしてました。
バスが動くのを待ってる間に『55歳からのハローワーク』っていう短編集を読んでたんですが、読んでた話が、ホームレスに近い状況になってしまった男がホームレスに近い状況にある病気の友人の最後の願いを果たすために奔走するという、ひたすらに苦しい話だったので僕もほんとに苦しい気持ちになってました。
(本はTPOをわきまえて読みましょう)
そんなこんなで辛くなったので、旅行前に(今さら)借りてた星野源の恋のCDを聞いてた。シングルのCDなんて本当にしばらく借りてなかったんだけど、このCD、メインの「恋」はもちろん、数曲入ってるカップリング曲もどれも良くて、シングルCDも良いものだなあと感じました。
ということを書いていて思ったんですが、「スマートフォンや音楽プレイヤーに入れたシングルのCDを聞く」行為ってなんて呼ぶのが正解なんですかね。
「アルバムを聞く」という言い方に比べると「シングルを聞く」という言い方は一般的でない気がするし、「シングルのCDを聞く」と言うのは事実に反している気がする。(CDではなく、CDのデータを移した曲を聞いているので)あと、長い。
上で使っている「CDを聞く」という言い方は無論事実に反している。
正解を知っている人がいたら教えてほしいです。
それに伴って気になって(好奇心が尽きないタイプの人間です)、「アルバム」っていう言葉の由来を調べてみました。(出典)
アルバムという言葉が音楽のレコードやCDで使われるようになったのは、レコード一枚に数分しか記録ができなかった頃、写真のアルバムのような物にレコードを複数枚格納して、一つのセットとして売り出してからだそうです。(新規性があるようでそんなに無い発見)
ちなみに、世界で初めてのアルバムはチャイコフスキーのくるみ割り人形。渋い
そもそもなんで写真のアルバムをアルバムと言うようになったかですが、
ラテン語で「白い」を意味する「albus」の中世形「album」が由来で、
白い→石灰→白い掲示板→大切なものを貼るもの→写真帳
と意味が転移していったそうです。(出典)
一つの言葉をとっても随分色んな歴史があるものですね。これをいちいち気にしてたら人生の時間無くなりそうだ。
ちなみにこう見えて(どう見えてるか知らないですが)、僕は星野源が好きです。
特に「YELLOW DANCER」は2015年のお気に入りナンバーワンアルバムだと思う。
(「地獄でなぜ悪い」とか好きです)
ということで思い立ったので、ここ数年間の自分にとってのベストアルバムを発表します。
2010年 BUMP OF CHICKEN「COSMONAUT」
2011年 これっていうのが無いですが、ボカロとかGoosehouseとかひたすら聞いてた
2012年 GReeeeN「歌うたいが〜(中略)〜歌うたわぬ!?」
2013年 思い出せない…
2014年 BUMP OF CHICKEN「RAY」
2015年 星野源「YELLOW DANCER」
2016年 BUMP OF CHICKEN「Butterflies」
昔よりはBUMP一辺倒って訳じゃないはずなんですが、やっぱり思い入れが強すぎてどうしてもトップに来ちゃいます。
2012年は個人的にしんどいことだらけだったのでGReeeeNのノリに助けられてたり、
2014年には大事な友達が死んだんですが、「RAY」のray→サザンクロスの流れは特に好きで、彼のことを考えながらずっと聞いてたりしてました。
個人的には音楽ってしんどい時に気分を盛り上げるために聞くことも多いので、しんどい思い出とのリンクが意外と強いですね。
今はClariS聞きながら書いてますが、ClariSも良いですよねほんと。
ちなみに、最近一番しんどかったことは、クロアチアのドゥブロヴニクで泊まっていたホステルで、男女共用の一つの部屋に複数の2段ベッドがあって、
僕は上の段だったんですが、寝ていたらすごい揺れがして「こんなところでも地震があるんだなあ」と思っていたら、それがいつまで経っても終わらず、だんだん男の荒い息遣いとともに独特な物音がしてきて、それがすごく長くて、なかなか寝付けなかったことです。
(しばらくしたら終わって、男女のささやきあう声が聞こえてきました)
さすがヨーロッパでは色々なものがシェアされるようですが、僕はまだそのレベルにはついていけないです。
「最近しんどかったこと」の印象が強くて、最初の方に何書いてあったか忘れちゃいました。
ReplyDeleteむむむ、文章書くって難しいですね…
Delete