青島への旅行、自分のルーツ

この4日間、母親と中国の青島に行っていた。

母方の祖父母は終戦まで青島に住んでいたのだが、それ以来親族の誰も行っておらず、祖母も高齢になっている中で改めて自分たちのルーツを辿る旅だった。

青島は第一次大戦前までドイツの支配下にあったため、至る所に西洋風の建物があり、町並みもドイツっぽさが残っている。

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昔の西洋風の建物が現代の中国の中に溶け込んでそのまま使われているのは、見ていて面白い。
西洋の石造りの建物の丈夫さと、中国の人々のバイタリティーを同時に感じることができる。

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自分はあらゆる建築の中で最も好きなくらい、キリスト教の大聖堂が好きなのだけど(それはおそらく、小学生の時に住んでいた町にすごくきれいな大聖堂があったことに由来してる)、青島の大聖堂もやっぱり良かった。
大聖堂を中心とした広場には人が集まって思い思いの過ごし方をしていて、夜になってもたくさんの子どもたちがはしゃぎながら遊び回っていた。
(写真にもうっすら写っているけど、青島の子どもたちにはしゃぼん玉が流行っていて、近くで夕飯を食べていたらたくさんのしゃぼん玉に襲撃された)

しゃぼん玉にまみれながら、母親と自分の子ども時代の話をした。
自分が小学校の時、両親が働いていたので学童クラブに通っていたが、そこもとてものびのびとした環境で、様々な友だちと学年や年齢関係なくよく遊んだ。
懐かしく話している中で
「経営は苦しかったけど、スタッフの人のレベルは絶対に譲らなかった」
ということを母親が言ったので詳しく聞いてみると、そこの学童クラブは子どもを預けている親たちが経営主体であり、そこで働くスタッフはその親たちに雇用されているような立て付けだったらしい。
自分は、てっきり学童クラブの運営元は何かしらあって、そこの経営者がスタッフを雇い、そこに親が顧客として子どもを預けているような形態だと思いこんでいたので、これには驚いた。
そこの学童クラブはかなり放任主義で、もちろんクリティカルに悪いことをしたらかなりしっかり怒られたのだけど、それ以外はわりと自由になんでもやらせてくれた。
遊んでいた校庭にあった丘の急斜面を駆け下りる競争をしたり、学童の庭に大きな穴を掘って地形を改造したり、道端に生えている雑草を天ぷらにして食べてみたり、おおよそ自分たちの目に入るものでやれそうなことは何でもやった。
その自由は掛け値なしに楽しく、学童までの近くはない道のりを毎日楽しく通って、学童に着くと「ただいまー!」と言ってすぐにみんなと遊んでたし、親が夕方迎えに来ても毎回毎回怒られるまで帰るのを渋ったし、その時の友だちたちは今でもよく遊ぶ大事な友だちになっている。(ちょうど先週も旅行に行った)
自分はずいぶんのびのびとしていて、友だちと遊ぶのに貪欲だという自覚があるけど、そういった人間性はこの学童クラブで過ごした経験がとても大きく影響していると感じている。そしてそれは、結果として今の自分の仕事にもプライベートにも強くつながっている。

当時は当たり前のように享受していた学童クラブでの自由が、すごく貴重なものだったなと最近は感じるようになっていたけど、母親と話したことで、それが実は親たちの必死の努力の上に成り立っていたと知った。
たしかに親たちは土曜日などよく集まっていたけど、そういった場で、今の経営状況がどうか、今後の保育の方針をどうしていくか、直近のイベントではどんな企画をするか、などなど話し合っていたらしい。
そして、例えばキャンプの準備などもスタッフの人たちに委ねるのではなく、自分たちで1つずつ分担して仕事の傍らで進めていたそうだ。
彼らが掲げていた保育の方針は
「なるべく自由に子どもたちに遊ばせること。子どもたちが『ただいま』と言って帰れる場所を作ること」
などだったらしいが、上に書いたようにこれらはほぼ完全に実現されていた。

自分はここ数年、子どもを育てるなら夫婦だけで育てるのではなく、複数の世帯で協力しながら、ゆるくて広いコミュニティーの中で育てたいということを思っていた。人間は元来一組の夫婦だけで子育てするようにできていないし、共働きが多い今の時代にそのやり方は限界があるし、家庭内以外に居場所があることで親も子どもも逃げ道ができ、そこで支えられることで少しでも楽になれるだろうと思っている。
そのために、そういった形を実践しているシェアハウスやシェアアパートに見学に行ったり、実際に自分でシェアハウスを作ってみようとしたりすらした。(過去にシェアハウスにも住んだし、今もルームシェアをしている)
そうして、自分では、自分なりに考えて情報を集めて新しい形を作るんだと息巻いてたけど、実際にはなんてことはなく、自分はまさに自分が目指していたような形で両親に育ててもらっていたのだった。
もちろん細かいところを見れば違いはあるのだけど、小学生の自分を育てていた、当時今の自分とたいして年齢も変わらない両親が、どんな思いでどんな苦労をして自分たちを育ててくれていたかを聞いて、かなわないなあと思うばかりだった。

戦前の青島に単身で渡り事業をイチから築き上げた曽祖父や、敗戦前後の大きなギャップに苦労しながらも家庭を守った祖父母、彼らの生きた町を訪れたことは間違いなく自分の人生にとって価値があったのだけど、それよりも何よりも、自分は自分の両親の信念と愛と努力によって育ててもらったこと、その周りにいるたくさんの人のおかげでここまでやってこれたこと、そんな当たり前のルーツを確認した4日間だった。
こんな人たちの力によって存在している自分の人生を使って、どんな楽しいこと・面白いこと・素敵なことができるか、自分だけの自分じゃないと思って明日からまたがんばろうと思う。


この記事は元々別のメディアに書いた内容を移管したものです

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